松本俊夫追悼
独創的な映画理論と前衛的な作品群で
日本における実験映画の礎を築いたとされる映像作家
松本俊夫(1932-2017)
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実は先月12日
腸閉塞のため惜しくも逝去したとの報を知りまして
享年85歳
ご冥福をお祈りします
と
ここでちょっと唐突ですが
今回は昔の話を少々…
今から遡ること20数年前
僕がまだ遊技業界に入る前の20代の頃
実は僕はいっとき
ドキュメンタリーを志していた時期がありまして
新宿中井の6畳一間のアパートで
貧乏暮らしをしながら
4年間ほど
記録映画のプロダクションの助監督をやっていました
まあ
創作の悦びと経済的苦悩とが
激しく拮抗し合いながら
日々ドキュメンタリー製作に従事し
そして夜は夜で
先輩たちと遅くまで酒を飲んだり
あるいは
よく映画を観に行ったなぁ
映画のプロダクションにいると
同業の仲間たちが撮った作品の試写会や上映会
演劇の案内などは事欠かず
よく観に行っては
お互い批評し合っていましたね
と
僕は一番のペーペーでしたので
とにかくいろいろと勉強しなくてはならず
そうして上映会にも夜ひとりで足を運び
難しい実験映像などをよく鑑賞しました
松本俊夫の映画も
そうした上映会で
初めて観たのがきっかけでしたね
六本木の俳優座で
確かアラン・レネの『ゲルニカ』と併せて
数本上映していまして
『西陣』(1961、26分)
『石の詩』(1963、24分)
という記録映画と
それともう一本
タイトルも忘れましたが
ひたすらまぶしい光の明滅と反復が
繰り広げられる実験映像を観せられて
なんじゃこりゃ
と
文字通り
面食らったのを覚えています
と
その当時
僕は師匠である監督から
ある一本の短編の演出を任されていまして
それはそれで
チャンスだと前向きに捉える一方
一体全体
何をどう撮ればいいのか
これがまた
皆目見当がつかない
全くビジョンが湧かない状態が続いていました
そんなタイミングで上述の映画を観たのですが
その時に観た松本の映像は
当時の僕の
ドキュメンタリーという表現に対する
漠然としたイメージを
見事にぶち壊してくれたように思います
正直
『西陣』も『石の詩』も
内容はまったく覚えてませんが
表面的には
前者が“西陣織”
後者が“石切り場の写真”を
それぞれ素材とした
正真正銘のドキュメンタリーでありながら
映し出された映像とは別の意味合いを
観る者にもたらす
そんな異化作用を感じとり
不思議な余韻を覚えましたね
目の前に提示された映像を通して
一体何を伝えたいのか?
本質的に何を映し出しているのか?
それは
ありのままの現実を題材としながら
どこまでも内面の世界に迫っていく
まこと前衛的な試みだったんですね
松本俊夫が終生追い求めたテーマ
“アヴァンギャルド”と“ドキュメンタリー”
という相対立する概念の融合は
それからまもなく古本屋さんで見つけた
彼の本を読んで
いっそう鮮明になっていきました
↓↓↓
(こちらは再版です)
いわく
「…アヴァンギャルドは人を内部世界の不思議に誘導するとすれば、ドキュメンタリーは外部世界の不思議を気づかせるからである。
しかしどちらも意識の射程が及ばぬ
“ロゴスの外”に踏み込んでいる点で
そこには対立物を同一化してしまうパラドックスが
隠されていると言えるかもしれない。
つまりアヴァンギャルドとドキュメンタリーを
統一しようとするサブタイトルの視点は
映像の独創特性に意識の秩序を揺さぶる
カオスとの出会いを介在させようとする
問題意識を意味している…」
と
ハハハ
難しいですよね…
まあ
そんなわけでして
松本俊夫は
霧の中をさまよっていた当時の僕に
新しい世界の見方
何物にもとらわれない自由な視点
そしてドキュメンタリーという表現の可能性を
教えてくれたように思います
いやあ
なんだか懐かしいなぁ
ということで
以下
松本俊夫の全作品集を掲載
「松本俊夫全劇映画DVDコレクション」
↓↓↓
「松本俊夫実験映像集Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」
↓↓↓
あらためて
ゆっくり観返してみたいですね
と
まだ続きますよ
次回は
松本俊夫の代表作
『薔薇の葬列』をご紹介します
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