映画『卒業』
かつてアメリカ映画界において
特には
1960年代後半から70年代にかけて
出演する映画が
ことごとく名作になってしまうという
“驚異の打率”を誇った俳優がいました
ご存じ
“小さな巨人”こと
ダスティン・ホフマン(1937–)です
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180センチ以上の長身に
ポマードで固めたヘアスタイル
タキシードに身を包んだフォーマルな着こなしが
長らくいい男の定番であり主流だった時代
…に突如現れた異端児
170センチに満たない低い身長
大きな鼻、ボサボサの髪の
冴えない出で立ちによる
生身のリアルな人間像を体現したホフマンは
たちまち当時の若者の共感を呼び
一躍、時代の寵児となります
このとき彼の出演した一本の映画が
はからずも既成の価値観の転覆
いわば革命をもたらした形となるのです
その映画とは
言わずと知れた青春映画の名作です
1967年製作
マイク・ニコルズ監督の
『卒業』
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以下、ストーリーをサイトより転載
…
大学を卒業し前途洋々のベンジャミンは
祝賀パーティの席で誘惑をかけてきた中年女性ロビンソン夫人と
逢瀬を重ねる…
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だが彼女の娘エレインが現れた事で
その関係は崩れていく
親の勧めで不承不承エレインと付き合うことになるベンジャミンは
彼女に惹かれていったのだ
一方
そんな若い2人に嫉妬するロビンソン夫人
やがて彼女とベンジャミンの関係が
エレインの知るところとなるのだが…
…
映画は
あまりにも有名な
サイモン&ガーファンクルの完璧なハーモニーに乗って
大学を卒業したてのお坊ちゃん、ベンが
様々な人生経験を通して
真の“卒業”を果たしていく姿を
ニコルズ監督の才気あふれる演出のもと
シャープな映像感覚で
時にシニカルに
劇画チックに
またどこか即物的に描いていきます
しっかし
恥も外聞もプライドも
すべてかなぐり捨てて
花嫁に会いに行き
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必死の形相でエレインの名を叫び
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そうして花嫁を強奪する有名なラストは
爽快で感動的であると同時に
う〜ん
この捨て身の若者の底知れぬパワーに
ある種の衝撃を受け
実際、脅威の念を抱いた人も
少なくなかったのではないでしょうか
『卒業』のホフマンは
旧世代にとっては
既存の社会秩序や枠組みを根こそぎ破壊しかねない
ある意味、危険な男
まさにアイビールックに身を包んだ
童顔のクラッシャーでした
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と
『卒業』のホフマン以前に
こうした傾向の予兆はありました
モンゴメリー・クリフトやマーロン・ブランド
そしてジェームズ・ディーンやポール・ニューマン
といったアクターズ・スタジオ出身の俳優たちの存在です
彼らは従来のハリウッドスターにない
異質の個性やアクを放ち
既存の映画システムのやり方に反抗するなど
いわば反体制的な志向性を持っていた異端児という点では
まさに当てはまるのですが
いかんせん
皆、すごい二枚目でした
つまりはスターとしての資質やオーラを
そもそも完璧に備えていました
しかしホフマンは違った
決定的にスター性に欠けるその容姿
…が
結果、彼を革命児たらしめた
それは60年代当時
文学や音楽、ファッションなどあらゆるジャンルで巻き起こっていた
カウンターカルチャーという特殊な時代性
映画においても
既存のハリウッド・システムによる製作のあり方を脱した
自由な映画作りを志向するアメリカン・ニューシネマの勃興
そうした反体制的な機運、風潮に乗った中で生まれた
既成の価値観と正反対な容姿ゆえの
それは鮮やかな逆転劇でした
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って
そうは言いましても
よくよく
ホフマンは美男とは言えないまでも
人を惹きつける魅力的な顔立ちで
等身大のスター性を
十二分に持ち合わせてはいましたがね
特には60年末から70年代において
ホフマンがニューシネマ時代を象徴する存在として
他の二枚目スターの誰よりも輝いていたことは確かでしょうね
とまあ
人間臭いリアルなアンチヒーローがモテた時代ということで
同じような位置づけで
この当時ブレイクした俳優に
ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノ、ジャック・ニコルソンなどがいて
みな一様に
狂気にまみれた演技で気を吐いていましたね
というわけで
次回はホフマンの60〜70年代の
輝かしいフィルモグラフィの軌跡を
追っていきたいと思います
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