映画『赤い砂漠』
1964年製作のイタリア映画
『赤い砂漠』↓↓↓
監督はイタリアの巨匠
ミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)
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主演は先月90歳で亡くなった
イタリアの大女優
モニカ・ヴィッティ(1931-2022)
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アントニオーニのミューズとして
名コンビを成してきた2人は
結婚こそしなかったものの
長年にわたる最良のパートナーでした
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つくづく
アントニオーニの映画って
どれもこう
何というんでしょうか
心の奥底が揺さぶられるような
静かな衝撃があるんですよね
それは常に居心地の悪さを伴っていて
観る者を往々にして
暗澹たる気持ちにさせるわけですが…
不安を駆りたてる要因が
その正体が
う〜ん
観ていて
どうにも判然としない
最後まですっきりと晴れることがない
映し出される映像は
曇天の空や
ひと気のない荒涼たる風景
物憂げな人物たち
などなど
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どこまでも暗く沈鬱で陰にこもっている…
ふと
そこからにわかに浮かび上がってくる
愛の不毛と
現代人の孤独…
映画は曖昧で不確かだが
しかし
ある種の絶対性
真実味を宿していて…
いやはや
アントニオーニの映画にみる
この独創的で揺るぎない表現は
どこまでも本質的で容赦がなく
自分の胸をふいに突かれるような
デジャヴにも似た錯覚にとらわれる僕が
いつもそこにいます…
…
海辺の工業都市ラヴェンナの無機質な工場地帯
ジュリアーナは幼い息子とともに
工場技師の夫ウーゴを訪ねる
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彼女は交通事故による精神的ショックから立ち直っておらず
その不安定な言動がしばし周囲を戸惑わせている
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夫は同僚のコラドを妻に紹介する
ジュリアーナはコラドに次第に親近感を覚え
自分が抱えている問題を吐露しはじめる
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そうして2人は少しずつ距離を縮めていき
やがて関係を結ぶも
それでもついぞ彼女の心の隙間が埋まることはない…
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つくづく
人と人が
男と女が
わかり合うことの難しさ…
ふと
曇天の寒々しい空
無機質な設備に覆われた石油工場
もうもうと立ち込める煙
流れ出る廃液などの公害物質
この汚染された世界
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劇中、ジュリアーナが語る
交通事故を起こした際に出てきた少女とは
他ならぬ自分自身のこと
彼女は
実は自殺未遂を起こしていたのです
ではその原因は何か?
う〜ん
はっきりとはわかりませんが
おそらくは
高度成長に湧く経済一辺倒の社会に
うまく適応できない…
世の中の変化に
その目まぐるしいスピードについていけず
違和感を覚え
戸惑い
取り乱し
殻に閉じこもり
孤独の中に埋没する…
そんな繊細で鋭敏な感受性ゆえ
精神のバランスを崩したのではないか、と
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あらためて本作は
世の中に対する漠然とした
しかし確かな不安に感応したジュリアーナが辿る
これ魂の遍歴で
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つまるところ
赤い砂漠とは
平常心を保つことができないジュリアーナから見た
不安に覆われた世の中のこと
本編で映し出される世界は
いわば
ジュリアーナの心象風景で
精神を病む彼女から見た世界なのです
映し出される映像には
彼女の想像の産物(=幻覚)も少なからずありましょう
違和感のある場面も多々見られます
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そして
それは同時に
アントニオーニから見た
現代社会に対する
深い憂慮の目でもあります
経済発展に突き進む現代イタリアそのものに対する危惧と
そこに生きる現代人の空虚なまでの姿…
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う〜ん
つくづく
なんてすごい表現でしょうか
また本作は
アントニオーニ初のカラー作品として
煙突から噴き出す赤や黄色い煙
ジュリアーナの着る緑のコートなど
グレーを基調とした工場の中に際立つ
その独特な色遣いが面白いですね
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いやあ
何より
その目を見張る美しさと
感情の制御ができず危うい様を見せる
モニカ・ヴィッティの稀有な存在感に
ただひたすら圧倒されます
というわけで
『赤い砂漠』
アントニオーニの社会に対する深い眼差しと
クリエイターとしての鋭い感性が
見事に結実した傑作
今更ながらおススメです
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おまけ
こちらはだいぶ前に
アントニオーニの『情事』について書いた記事です
↓↓↓
こちら
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