映画『暴力脱獄』

1967年製作のアメリカ映画
『暴力脱獄』
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原題は『Cool Hand Luke』
本作は実際に獄中生活を送ったドン・ピアーズの小説の映画化で
ピアーズ自身、脚本にも参加しています
監督は名匠
スチュアート・ローゼンバーグ(1927-2007)
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主演に
ポール・ニューマン(1925-2008)
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いやあ
ポール・ニューマンは僕の大のお気に入りでして
本作は彼の中で一番好きな映画だなぁ
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ある夜
酔った勢いで街のパーキングメーターを壊して逮捕されたルーク・ジャクソンは
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器物破損の罪で懲役2年の刑を言い渡され
フロリダの刑務所に収監されるのだが
そこは所長が絶対的な権力を保持し
受刑者たちは看守によって
過酷な労働や体罰を強いられる理不尽な世界だった
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しかしルークは
刑務所で定められたルールに従おうともせず
また曲者揃いの囚人たちにも遠慮せず
終始、われ関せずでお構いなし
ある日ルークは
囚人たちのボスであるドラッグに指名され
ボクシングの試合をさせられる
大柄なドラッグに何度も何度も殴られ倒されるが
ルークは立ち上がりパンチを返していく
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決して負けを認めず
しつこく立ち向かってくるルークに
しまいにはドラッグの方が呆れて根負けしてしまう…
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不思議な魅力で
常に涼しく微笑みながら
自分を貫き通すルークの姿に
囚人たちは次第に共感を覚え
いつしか一目置かれる存在となっていく
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う〜ん
つくづく
Mですね
まさに負けて勝つを体現
勝負には負けたけど
皆の心を掴んで離しません
また別のある日
卵を50個食べられると自ら宣言し
皆の前で実際に試して
賭けに興じる…
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いつもありのままのスタンスで
すべてを受けて立つ男
彼の言動が
自ずと
皆を楽しませ、力づけ、やる気にさせる
囚人たちにとってルークは
希望も何も失われたこの世界における
ある種
モティベーションの源的な存在なのかもしれません
ふと
それは
想像をたくましくすれば
人間のあらゆる罪をかぶる存在
たりえるとも言えましょうか
とどのつまり
贖罪です
つくづく
贖罪って
いわば
究極のM
ということですよね
お
卵を見事50個食べきって
大盛り上がりの宴の後
テーブルにのびてしまうルークの意味深なショット
明らかに
キリストのメタファーと言えましょう
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と
そんなルークですが
やがて
繰り返し繰り返し
脱獄を図っていきます…
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しかし
脱獄はことごとく失敗に終わり
捕まって帰ってきます
そうしてその都度
厳しく残酷な体罰が課せられ
独房に入れられ
生気を、活力を奪い取られ
ルークは心身ともに追いつめられていきます
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刑務所の非道に対する
あからさまな反抗
脱獄を繰り返す行為は
まさにその表れで
さらには
囚人たちが犯した罪を
一身に背負うかのごとき
贖罪の念
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雷雨に打たれながらルークは
思わず天に毒づき
己に対する無慈悲な仕打ちを嘆きます
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本来あってはならぬ
神への冒涜
う〜ん
生半可な反骨心ではない
ここで描かれるのは
人間の尊厳を賭けた己との戦い
ルークに見る
純粋性
不屈の精神
漂う聖性…
彼の一挙一動にこそ
神が宿っているかのようです
そうして映画は
痛ぶられ打ちのめされ続けるルークを
執拗に映し出します
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看守のサングラスが権力の非人間性を象徴
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…が
なんのなんの
追い込まれるほどに
いや増す
ルークの反骨心
あらためて
作品に厳然と底流する
圧倒的なまでの反権力の姿勢
それは自ずと
反体制の機運へと連なっていきます
本作の製作当時の60年代後半
当時のアメリカ社会を覆っていた
既成の価値観に対する
カウンターカルチャーの波が
映画界においても押し寄せ
そうした中で製作された本作は
まさに時代の空気を捉えた象徴的な一本とみなされるのです
というわけで
牧歌的なムードの中で描かれる
骨太な人間ドラマの寓話
『暴力脱獄』
何せポール・ニューマンが最高で
脇を固める助演陣もみな素晴らしく
いやあ
つくづく
映画史に残る傑作です
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