映画『ゾディアック』
2007年のアメリカ映画
『ゾディアック』
↓↓↓
監督は
鬼才デヴィッド・フィンチャー(1962-)
↓↓↓
1968年から1974年にかけて
カリフォルニア州サンフランシスコで
実際に起きた未解決の連続殺人事件
通称”ゾディアック事件”を
追う男たちを描いた実録サスペンスです
↓↓↓
…
サンフランシスコで
カップルが襲われる事件が続発
↓↓↓
程なくして本件の殺人犯が
「Zodiac(ゾディアック)」と名乗って
自分が手がけた殺人の詳細と暗号文を
地元新聞社「サンフランシスコ・クロニクル」や警察に
再三にわたって送付
↓↓↓
事件はメディアを通して
広く知れ渡ることとなり
“劇場型犯罪”として全米を揺るがしていく…
映画は
『Zodiac』と題された
ロバート・グレイスミスのノンフィクションを元に
事件に翻弄される3人を軸に
難航のプロセスの一部始終を
丹念に描写していきます
原作者でもある
クロニクル紙の風刺漫画家の
グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)
↓↓↓
同紙の敏腕記者エイブリー(ロバート・ダウニーJr.)
↓↓↓
サンフランシスコ市警の刑事トースキー(マーク・ラファロ)
↓↓↓
と
事件に執着し
膨大な時間が費やされ
身も心も疲弊していき
人生を狂わされていく3人の男たち
“ゾディアック“
という一点だけで
物事を見て生きている
それをいつまでも失わず
捨てきれず
どこまでも
そこに固執する
周囲はどんどんあきらめ
責任を放棄して
この件から降りて
自分の中で完了して
新たな人生を生きているのに
この3人だけは
あきらめきれず
囚われたまま
犯人探しに明け暮れる…
劇中
いかにもそれっぽい
怪しい…
きっとこの男に違いあるまい
という人物も登場し
↓↓↓
今までの定石に照らすなら
紆余曲折を経て
ようやく核心に辿り着き
最後に犯人が捕まって
やれやれ
一件落着
という結末を迎えるはずなのに
ふぅ
残念ながら
そのようなラストには
至らない…
泥沼のように
ズブズブとはまりこんでいく感覚
事件にのめり込むあまり
時間の観念があやふやになり
犯人探しに奔走する
プロセスそのものに
ある種のカタルシスを感じる
このパラドックス…
↓↓↓
う〜ん
畳みかけるようなスピーディな展開
小気味よい編集テンポが
観る者をも巻き込んで
ゾディアックに取り憑かれた男たちの
一種異様な相貌を露わにし
彼らが蝕まれていく道程を
いたずらに促進させ
ある種の依存状態への埋没を
自ずと助長していきます
つくづく
70年代アメリカのリアルなムード
↓↓↓
乾いた映像と相まった
登場人物たちの(演じる役者たちの)
そこはかとない匿名性
↓↓↓
不気味で唐突な殺人
↓↓↓
とりわけ
湖畔でのシーン
↓↓↓
これは怖かったですね
↓↓↓
募る一方の疑惑
複雑に入り乱れる捜査
事件究明にあたる者たちの錯綜する思惑
焦燥感
徒労感
やるせない思い…
観ていて
ほとほと
ストレスがたまる
スッキリと晴れない
…のですが
否
これがなんとも病みつきになる
といいますか
手がかりに次ぐ手がかりを
手当たり次第にまさぐっていく
グレイスミスの
どこまでも前のめりな行動を観ていくうちに
ある種の陶酔を覚えること必至です
↓↓↓
一見地味な実録ドラマながら
なんの
中毒性のある怒涛の展開そのものに
醍醐味を見出す
よくよく
新しい視点です
まさにフィンチャーの真骨頂ですね
というわけで
『ゾディアック』
いやあ
まこと野心的な試みに溢れた力作
これは必見です
↓↓↓
この記事へのコメントはありません。