映画『ドッグヴィル』

2003年製作
デンマーク/スウェーデン/ノルウェー/フィンランド他合作
『ドッグヴィル』
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監督・脚本は
デンマークの鬼才
ラース・フォン・トリアー(1956-)
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もしかしたら
本作は彼の最高傑作じゃないでしょうか
ある空間内に
線を引いただけの
ミニマルなシチュエーションで繰り広げられる
実験的な異色作にして
濃密な人間ドラマの力作です
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…
舞台は大恐慌時代のアメリカ
ロッキー山脈の麓にある小さな村ドッグヴィル
ある夜
ギャングに追われている謎の女性グレースが
村へ逃げ込んでくる
追っ手のギャングたちが現われるも
助けを請う彼女の身を隠し
その場を切り抜けたトムは
翌日、住民たちにグレースを
皆でかくまうことを提案する
「彼女を助けることは
この町の人間性を証明する機会だ」と
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しかしその際
住民たちから以下の条件を提示される
「この町に受け入れてもらいたければ
彼女が町にとって
必要な人間であることを証明しなさい」
そうしてグレースは
住民ひとりひとりの仕事を手伝うことになる
みんな最初は拒絶していたが
徐々に彼女を頼りにし始め
次第に住民たちに受け入れられていく
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…がある日
警察がグレースを捜し始めたあたりから
状況はにわかに一変する
「君をかくまうことで
我々のリスクは高くなった」
と言い始め
「もっと働いてもらわなければ割に合わない」
という論調が大勢を占め
そうして
グレースの労働時間は増え、報酬は減り
要求は日増しにエスカレートしていく
やがてそれは労働だけでなく
暴力や性的搾取にまで発展
逃亡を試みたグレースは連れ戻され
挙げ句
逃げられないよう鎖につながれる
ここに至って
彼女は
“保護される女性”から
“搾取される奴隷”へと
立場を大きく変質させられてしまう
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そして終盤
ある事実が明らかになる
グレースを追っていたギャングのボスは
実は彼女の父親で
グレースは父の生き方を嫌って
自ら逃げていたのだ
父と再会したグレースは
自分が村の人々に対して
取ってきた態度について問い直す
「彼らは弱い人間なのだから仕方がない」
「環境が違えば自分だって同じことをしたかもしれない」
そう考えて彼らを許し続けてきた
しかし父は
その”許し”こそ
お前の傲慢なのだと指摘する
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そんな父との平行線をたどる話し合いの末
やがて
グレースの考えは反転する
そして彼女は
自分を虐待した村そのものに
残酷な審判を下す…
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ふぅ
なんという展開
のどかで閉鎖的な村に
突如舞い込んだ美しき逃亡者
この異質な存在が
平穏な村人たちの心を惑わし
やがて不協和音が轟き始め
共同体は
にわかに不穏な空気に包まれます
良心の不在
横行する偽善
残酷なまでの悪意の発露
にわかに蔓延するネガティブな空気
狭い村社会に宿る群集心理
渦巻く人間のエゴイズム
グレースに対する圧倒的な優位性から
善良な村人たちに自ずと芽生える
妬み、恨み、卑しさ、猜疑心、狭量…
勤労と禁欲を是とする
アメリカ・プロテスタンティズムの
負の側面
いわば不寛容
思いやりの欠如が顕在化し
あっちこっちで暴発します
汚らわしい男の欲望
愚かな過ちに終始する貧しき村人たち
そして
無惨に
徹底的に
打ちのめされるグレース
う〜ん
恐ろしいまでの負のスパイラル
貶められ
陵辱される
ニコール・キッドマンに
観る者は
自ずと感情を逆撫でされます
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と
しかし
よくよく
村人たちの酷い仕打ちに
徹底的に耐え抜くグレースは
「彼らにも事情がある」
「彼らは弱い人間」
「自分が彼らの立場なら同じことをするかもしれない」
という
博愛主義的な寛容性を見せます
…が
果たしてそれは
本当の優しさと言えるのでしょうか
グレース自身も気づいていない
彼女に内在する本音
それは
自分自身に課す高い道徳を
他人には求めないということ
村人たちに自分と同じ道徳水準を求めても
所詮は無駄である
という
これはある意味
相手を見下した目線で
ゆえに村人たちが何をしても
彼らを許す
という結論に至るのです
つまり
寛容と傲慢は表裏一体である、と
映画は
村人たちの不寛容と底知れぬ悪意を
露わにすると同時に
被害者であるグレース自身に潜む
差別意識をも
容赦なく炙り出すのです
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果たして
人間の善意とは何か?
寛容は善なのか?
映画は観る者に
本質的な命題を突きつけます
しっかし
巨大なスタジオの床に白線で
「家」「道路」「庭」
などと描かれただけの
この極めて
演劇的なシチュエーションにおける
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役者たちの
生々しくもリアルな熱量
どんな場所でも
美術セットでも
生身の身振り
感情の息づかい
醜くも淫らな欲望は
いくらでも描くことはできます
つくづく
「ドグマ95」の信条が色濃く反映された
手持ちカメラと
ナレーションによる
トリアーのミニマルな演出には
ただもう脱帽する他ありませんね
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と
本作には
ドラマの舞台が
ただ白線をひいただけの空間なので
壁はありません
なので観ている側は
村人たちの行為が
家の外だろうと中だろうと
全部筒抜けで見ることができます
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ある家でグレースが酷い扱いを受けている時
すぐ隣では
別の住民が普通に生活している
壁がないのに
誰も見ていない…
取り払われた物理的な壁と
本心を隠し無関心に過ごす人々の
心理的な壁との
この鮮やかな対比
いやあ
見事な演出です
そしてあらためて
役者たちが素晴らしいですね
謎の逃亡者グレースに
ニコール・キッドマン
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一見、善人なようで
その実、リスクを取らない傍観者的な男
トムにポール・ペタニー
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他に
クロエ・セヴィニー、ベン・ギャザラ、ローレン・バコール、ジェームズ・カーン
などなど
皆もう抜群の名演を披露しています
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というわけで
『ドッグヴィル』
いやあ
あらためて
これはすごい映画
トリアーの野心と才気が爆発した
まこと感情を揺さぶる問題作
是非とも必見です
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おまけ
ここんとこ続いていますね
トリアーの作品について
以前書いた記事です
◎『アンチクライスト』→こちら
◎『ダンサー・イン・ザ・ダーク』→こちら
◎『ハウス・ジャック・ビルト』→こちら
◎『エピテミック〜伝染病』→こちら
◎『ヨーロッパ』→こちら










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