フェリーニと名画座
前回に引き続き
またまたフェリーニ話です
ふと
今からもうかれこれ20年以上前になりますかね…
僕は大学生の頃
大学に行かずに
よく一人で古い映画を観に行ったものです
あの頃はホントに名画座やミニシアターが多くて
よう観たなぁ
そんな中でもとりわけ異色の映画館が
早稲田通りに面した小さなシアター
「ACTミニシアター」
残念ながら今はもう閉館になってしまいましたが…
う~ん
独特の風情があって
映画小僧だった当時の僕のお気に入りの空間でしたね
座席数は30~40席がいいとこ
座席といっても椅子席はなく
靴を脱いで入って
カーペットで敷かれたフロアに
カプセルホテルみたいにマットレスと毛布が並べられていて
そこに寝そべって観るというスタイル
さらにトイレがこれまたビミョーで
なんと
男子と女子のトイレが
アコーディオンカーテンで仕切られているだけ
いま考えるとあれはヤバかったですね
いやはや
館内なんともまったりとした空気が漂っていて
懐かしい限りです…
そしてここで
フェリーニの二本立てを観ました
いやあ
ワクワクしましたね
当時の僕はコンタクトレンズをはめていて
その時たまたまレンズのはまり具合がどうにもしっくりこなくて
ついはずしてしまい
ド近眼だった僕は
半分ボヤけた画面を
一番前列で寝そべりながら
食い入るように観たのを覚えています
と
フェリーニの映画に惹きつけられるのは
全編に漂うノスタルジーが
僕にちょっとした現実逃避の心を抱かせ
それがひいては
映画館へと足を運ばせる…
その映画館の暗闇に対する
ある種の恐れや憧れ
そこはかとない後ろめたさが
フェリーニの世界観と
絶妙にマッチしているからなのかもしれません…
少なくとも僕は
映画館の魔力に魅入られた一人でした
その暗闇から照射される光の筋…
特に昔は場内タバコがOKでしたからね
モクモクとした煙の中で
一直線に向かう光の
このえも言われぬ風情…
近年のシネコンに代表されるように
映画館はどんどん整備され快適になっていき
それはそれで喜ばしいことですが
僕にとっては
どこかいかがわしくも神秘的な
“闇の奥”
とも言うべき昔の名画座が
どんどんと閉館を余儀なくされている現実は
寂しい限りではありますね
おっと
少し感傷が過ぎたようです…
ということで
フェリーニの映画は
こういう名画座で観てこそ魅力倍増ですね
さて二本立てのうち
まず一本目がこれ
フェリーニ初期の名作
『カビリアの夜』(1957)
↓↓↓
う~ん
切ない映画でしたね
絶望の淵の中
道化の楽団に遭遇し
思わず笑顔がこぼれる
ラストのカビリアのアップに
涙が止まりませんでしたね…
↓↓↓
なんとも救われた気分になった次第です
さあそして二本目が
フェリーニの代表作
『甘い生活』(1960)
↓↓↓
大衆消費社会がはらむ欲望と
それによってもたらされる絶望
そしてそこに生きる現代人の精神の退廃を
壮大なスケールで描ききった
フェリーニ中期の傑作
当時、待望の鑑賞でした
もううれしくてうれしくて
上映時間3時間もあっという間
ただ流れに身を任せて観ました
面白いとか面白くないとか
そんな次元の話ではありません
とにかく目の前に『甘い生活』の映像が流れている
そのことがうれしかった…
映画がわかるとかわからないとかは後の話
映画そのものに酔いしれましたね
マストロヤンニとアニタ・エグバーグの
有名なトレビの泉のシーン
↓↓↓
『甘い生活』は
散文的、総花的なスケッチのようでいて
なんのなんの
とんでもない
単に映像美に酔うだけでは飽きたりません
全てが逆説的
その内実は
デカダンスというよりむしろ道化
このパラドックスにこそ
フェリーニの革新性はあったのです
とまあ
そんな話は今回やめときまして
僕はマットレスに寝そべりなから
ただその魅惑のひと時に身を委ねていましたね
そうして朝方
充血した目をこすりながら映画館を出て…
う~ん
しかしこの
全身にみなぎるパワーは一体何でしょう
一晩中寝てないので疲れているはずですが
心が満たされるとは
こういう感覚を言うのでしょうね
ウキウキと弾む心で帰路につきました
昔の話です…
飛びまくっていつの間にか辿り着き、読ませてもらいました☆彡これから読ませていただきますね!せっかくなのでコメント残していきます(*´ω`)これからもUP頑張ってください!私の方も時間あれば目を通してやってくださいではでは(=゚ω゚)ノ
>☆SARA☆さん
コメントありがとうございます❗️
お互い頑張りましょう(^_−)−☆