アントニオーニと“愛の不毛”

今回は趣味全開ですよ

僕はイタリア

とりわけ196070年代の

イタリア映画が大好きです

映画は19世紀末に産声を上げ

20世紀の100年間を通して

実に様々な形で表現が試みられ

成長発展を遂げてきました

現在はハリウッドシステムを象徴とする大資本による映画が

世界のマーケットを跋扈する一方で

大手の製作によらない自主独立映画が

近年とみに増えており

インターネットの普及も手伝って

映画は今後ますます拡散し続けることが予想されます

そこで

僕は声を大にして言いたい

そんな多様化の時代を迎えている現在の状況の萌芽を

さらには

これからの映画のあり方を問うていくための格好の題材を

196070年代のイタリア映画に見出すことができると

実際この時期のイタリアにおいてかなりの密度で

才能ある映画作家たちが百花繚乱のごとく輩出され

作家性の濃い優れた作品をどんどん生み出していきます

本ブログでも度々ご紹介してますが

フェリーニ、ヴィスコンティ、パゾリーニや

他にもベルトルッチ、タヴィアーニ兄弟、オルミ、カヴァーニ、ベロッキオ、スコラ、ロージなどなど

う~ん

枚挙にいとまがありませんね

これらの作家たちによる作品群は

フランスのヌーヴェルヴァーグや

アメリカン・ニューシネマといった映画的潮流のように

共通項を見出し一括りにできないくらい多岐にわたっていました

例えるなら

さながら芸術の花が咲き乱れた

中世のイタリア・ルネッサンスを彷彿させましょうか

というわけで

今回ご紹介するイタリアの監督です

世界の映画史において

とても重要な位置を占めるひとりです

ミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)

↓↓↓

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享年95

創作意欲を最後まで失わずに

晩年まで映画を撮り続けた巨匠です

しかしその半世紀以上にわたる長いキャリアの中で

アントニオーニが真に革新的な存在たり得たのは

主に60年代においてでした

彼によって映画表現の可能性は

飛躍的に押し広げられたと言っても過言ではないでしょう

アントニオーニが終始一貫して追い求めたテーマ

それはズバリ

しかしアントニオーニのはいささか趣が異なっています

彼の場合

愛は常に「曖昧で不確かなもの」

それはコミュニケーションの不在によってもたらされ

孤独や絶望という形で帰結します

アントニオーニは現代人

とりわけ都会に住むブルジョア階級を登場人物に挙げ

そうした人たちの空虚で倦怠感に満ちた習俗を執拗に描き続けました

イタリア映画は

戦後の荒廃した風景や街並み

人々のありのままの姿をカメラに収める手法で

世界中に衝撃を与えた

いわゆるイタリアン・ネオリアリズムの作品群で復興を遂げるわけですが

アントニオーニも他の監督たち同様その影響を受け

『ある愛の記録』(1950)で本格的に映画デビューを果たします

しかし彼が独自の文体を確立するのはそれからしばらく後

ネオリアリズムが下火になり出してからでした

ネオリアリズムは戦後の荒廃した風景とそこでけなげに生きる人々の

ありのままの姿をフィルムに焼きつけた点にその特徴を見出せますが

イタリア国土の急速な発展にともない

映画の題材としてはもはや現実味を持ち得なくなっていきます

瓦礫や焼け野原が見出せなくなり

代わってビルや工場などが乱立するようになっていくのです

当然人々の意識も生活水準も次第に変っていく

イタリアン・ネオリアリズムの衰退は自明の理でした

そんな中でアントニオーニはネオリアリズムを別の方向へと導こうとしていきます

彼はありのままの現実を材に取りながらも

その現実の中に主人公の内面を表しうる要素を見出し

それを象徴的に映し出したのです

現実そのものが主人公の内面を表す鏡=心象風景となっているのです

そしてアントニオーニによって提示された

主人公の心理状態を表す風景とは

曇天の空や寒々とした河

波の音だけがいつまでも鳴り響く空虚な海

人気のない街角

殺伐とした砂漠等であり

すなわち孤独や絶望、不安といった心理の代弁なのです

このアントニオーニのペシミスティックな視点は

そのまま彼の現実に対する捉え方に直結します

彼は現代社会の発展によってもたらされる弊害

ー個人が消費社会に呑みこまれ画一化されていくことー

に深い憂慮を示します

とはいえ彼は映画でそうした問題を声高に叫んだり

メッセージを発したりするようなことはしませんでした

アントニオーニは独自の映画言語を用いて

どこまでも深く静かに社会と対峙していったのです

またアントニオーニの映画で特筆すべきは

ストーリーがかなり希薄な点にあります

ストーリーはまさに骨格であり

映画は物語を伝えるための手段と言っても過言ではないくらい

映画全体の中でストーリーの占める比重は大きい

しかしアントニオーニの映画は

そんな既成概念をむしろ静かに破壊します

起承転結が明快でないのは言うに及ばず

ストーリーそのものに全然重きが置かれていない

ここではストーリーは

主人公の内面世界を表現していくためのつなぎの意味でしかない

よってアントニオーニの映画は多方面に拡散し

いろいろな解釈が可能となり

観る者一人一人の想像力によって

映画の表情がめまぐるしく変化する

つまり映画そのものが限りなく自由なのです

映画の中で結論を導き出すようなことは決してせず

ただ映像を提示するのみ

あくまで答えは観る者一人一人の感性に委ねるのです

しかしだからといってテーマがブレるようなことはない

映画は抽象画の如き筆使いで

漠然とした輪郭をとどめながらも

愛の不毛

それによってもたらされる

現代人の孤独

鮮烈に炙り出すのです

かくして映画は

アントニオーニに至って

ハリウッド・システムが営々と育んできた

ストーリー偏重主義の呪縛から自由に解き放たれたのです

こうした野心が初めて結実した作品が

『さすらい』(1957)でした

前作『女ともだち』(1956)

すでにその萌芽を見出すことができますが

『さすらい』でアントニオーニの文体は更なる発展を遂げることになります

女に捨てられ、娘と共にあてどなくさすらい続ける男

背後に横たわる寒々しい荒涼とした風景が

主人公の心の内を無言のうちに物語ります

そうして最後は自ら身を投げて終わりを告げます

アントニオーニはこのひたすら絶望的な映画で

ネオリアリズムの方向性を

人間の内面へと向けることに成功するのです

こうした手法ゆえに彼は

内的リアリストと形容されました

それから『情事』(1960)でそのスタイルが確立

(『情事』は次回取り上げます)

アントニオーニは『情事』の後も

独自の映画言語を駆使して

愛の不毛とそれによってもたらされる

現代人の孤独を繰り返し展開してゆきます

形骸化した夫婦関係の虚しい継続を描いた

『夜』(1961)

男女の不確かな関係を

経済社会のはかなさに重ね合わせた

『太陽はひとりぼっち』(1962)

神経症の女の不安定な心理状態を

工業地帯の中に表した初のカラー作品

『赤い砂漠』(1964)

立て続けに発表

アントニオーニはこの一連の作品群で

時代の先端を行く作家としての地位を確立します

その後アントニオーニは社会の情勢により鋭敏に感応し

その眼をイタリアから世界に向け始め

とりわけ新しい時代の若者たちに共鳴してゆきます

『欲望』(1966)では、イギリスのモッズを

『砂丘』(1969)では、アメリカのヒッピー文化を題材に取り上げ

また『さすらいの二人』(1974)では

現代人のアイデンティティ喪失に迫り

更なる展開を見せてゆきます

そしてどんな題材をどこで撮ろうが

やはり根底には繰り返し述べてきたように

孤独や絶望が横たわっているのです

しかしこうしたアントニオーニのペシミズムは

時代の移り変わりと共に

次第に意味を持ち得なくなり

色あせていきます

反体制運動の行き詰まりがささやかれ始めた

70年代半ばあたりから

次作が実を結ばず

アントニオーニはにわかに失速していくのです

そんな中

彼は『ある女の存在証明』(1982)発表後

脳卒中で言語障害に見舞われ

療養を余儀なくさせられます

そうして映画界から遠ざかること13

徐々に人々の記憶から忘れ去られようとしていたアントニオーニでしたが

『愛のめぐりあい』(1995)の完成で

再びその存在を世界に証明します

そして遺作となったオムニバス『愛の神、エロス』(2004)まで

う~ん

これほど終始一貫して

同じテーマを追い続けた監督が

他にいるでしょうか

さまよい続け

たどり着いた果てには

一体何が見えたのでしょうか

というわけで

次回は

代表作『情事』をご紹介します

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