映画『スラム砦の伝説』
旧ソ連の映画です
1984年製作の
『スラム砦の伝説』
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監督は
旧ソ連グルジア出身のアルメニア人で
知る人ぞ知る天才
セルゲイ・パラジャーノフ(1924-1990)
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パラジャーノフは当時の社会主義国、ソ連において
アルメニアの民族的、宗教的特色をモチーフにして創作した映像作品が
しばしば難解で退廃的と批判されたり
また一時、ウクライナの首都キーウにも住んでいて
ウクライナの知識人たちに対する不当な逮捕と拘留に
反対の意を表明したりして
ソ連当局から睨まれる存在となり
結果的に旧ソ連下で
合計15年もの歳月を獄中で過ごすことになります
その間、過酷な労働を強いられるなどの苦難を経て
ようやく釈放され、撮影許可が下りて
前作『ざくろの色』から実に15年ぶりに映画監督として復帰
グルジア民話を脚色した
この『スラム砦の伝説』を
満を持して製作するに至ります
とまあ
そんなわけでして
パラジャーノフの現存する数少ない作品の一つである本作は
いやあ
他に類を見ない未知なる映像表現に満ち満ちています
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中世の時代
グルジアではトルコ軍の侵略から国を守るべく
辺境に砦を築いていたものの
スラムの砦だけは何度築いても崩れてしまっていた…
と
奴隷のドゥルミシハンは
ヴァルドーという恋人と愛し合っていたが
ある日、ひとり放浪の旅へと出かける
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しかし異教徒の商人との出会いなど紆余曲折を経た後
ドゥルミシハンは別の女性と結婚し子供をもうけてしまう
そのことを老占い師を通じて知ったヴァルドーは絶望し、やがて自らも占い師となる
そうして月日が流れ
ドゥルミシハンの息子ズラブが立派な若者へと成長した頃
彼は王の使節団と一緒に、たまたま占い師ヴァルドーの元を訪ね
彼女にスラム砦が崩れない方法を訊ねる
するとヴァルドーは
「背が高く青い目の若者を人柱として埋めよ」
と告げる
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ズラブは祖国のために自ら犠牲となる決心をし
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人柱として塀の中に埋められる
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自分の予言で
かつての恋人の息子ズラブを塀に埋めたことを
激しく後悔するヴァルドー…
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…と
ある恋人たちの数奇な運命を
グルジアの風土や文化、習俗に重ね合わせながら
特異な様式美で紡いだ本作は
全編、グルジアの原語にロシア語訳がボイスオーバーするなどして
よりローカルでエスニックな風情をたたえた世界観を構築しています
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母なる大地
広大な山岳地帯
牧歌的な風景
抑揚のない淡々としたムードの中で
巻物のように繰り広げられる一大パノラマ
独特の美学と様式、リズム
一般商業映画の枠組みに到底収まらない
その流麗な詩的映像絵巻に
観ている側は
ある種、幻惑にも似た感覚にとらわれます
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しばし真正面に向き合いカメラに向かって語る人物たち
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ざくろなどの果物のほか
多分に象徴的に散りばめられた
民族的なアイテムの数々
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美しくエキゾチックな民族衣装を身にまとう人物たち
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打楽器や弦楽器のリズムに合わせて
舞う奇妙な踊り
異質な価値観ですね
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スラム砦の前で繰り広げられる
儀式のような
祭事のような
サーカスの見せ物のような
あるいは
まるで舞台劇のような
手作り感覚の人工的な空間
祝祭的なイメージ
まこと摩訶不思議な異世界が展開されます
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おそらくは厳格に定められた配置
手順に沿って動く人物や動物たち
パラジャーノフの特異な様式美が
ついつい物語に先行するあまり
う〜ん
画面の中で一体全体
何が繰り広げられているのか
いまいち判別不能ですが
映し出される魅惑の映像に
ただ身を任せて観ればいい
つくづく
そう思います
異文化に触れる喜び
豊かな色彩、独特の構図、奇異なリズム…
この唯一無二の美的センスには
つい魅了されずにはいられませんね
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奥行きのない平面的で装飾性に溢れた
絵画のような画面構成
多用されるシンメトリーの構図
この圧倒的なまでに豊穣な世界観
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ふぅ
全編これ
とめどもないイメージの連鎖です
迫りくる敵軍
逃げ惑う羊の群れ
羊に覆われた牧草地を
俯瞰で捉えた雄大なショット
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またメトロノームの
振り子のようなテンボに合わせ
若い頃のヴァルドーと歳をとったヴァルドーが
交互に顔を見せる前衛的なショット
時の移ろい
その無常な様を表現しているようです
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とまあ
いやはや
なんてすごい世界観でしょうか
というわけで
苦難の道のりを辿ったパラジャーノフの
詩的イメージが爆発した傑作
『スラム砦の伝説』
つくづく
独自の美意識に貫かれた稀有な映画
必見です
おまけ
以前、僕がパラジャーノフと
代表作『ざくろの色』について書いたブログを
以下にご紹介
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