映画『忘れられた人々』

1950年製作のメキシコ映画

『忘れられた人々』

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監督はご存じ

スペインが生んだ世界的巨匠

ルイス・ブニュエル(1900-1983)

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『アンダルシアの犬』(1928)に始まる

初期のシュルレアリスム時代から

晩年のフランス時代に至るまで

タブーをいとわない

数々の問題作を世に送り出してきた

ブニュエルのフィルモグラフィーの中でも

とりわけ異色揃いのメキシコ時代

本作『忘れられた人々』は

ジャンルを問わず

低予算の映画を量産した

この時代を代表する一本です

メキシコシティの貧民街

感化院を脱走した少年ハイボは

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自分を密告したと疑うジュリアンを

背後から殴り殺し

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不良少年たちを率いて

盲目の老人や障害者を襲ったり

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盗みを働いたりと

悪行の限りを尽くす

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そんな中

仲間の1人ペドロは

罪悪感に苛まれ

母への愛情に飢え

真面目に働こうとするのだが

ハイボによる盗みの罪を着せられ

母親からも見放されてしまう

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ハイボの仕打ちに耐えかねたペドロは

ハイボに襲いかかるも

あえなく返り討ちに遭い

無惨にも殴り殺されしまう

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そして

ハイボもまた

警察に追われ

挙げ句の果てに撃ち殺される…

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盲目の老人の言葉

「ひとり減った

こうしてみんな消えていく

生まれる前に

殺しちまえばよかったんだ」

う〜ん

何なんでしょう

この無情

容赦のない様

言いしれぬ虚無感

映画は

メキシコの絶望的な状況がもたらす

構造的な負の連鎖を

安易な感傷を交えず

また

犠牲者に感情移入したり

加害者を糾弾したりせず

突き放した視線で

淡々とリアルに描き切ります

そうやって

世間から忘れ去られていく人々の現実を

観る者に突きつけます

本作について

ブニュエルは

以下のように語っています

「…物語は完全に現実の事例に基づいています。

貧困層が置かれたみじめな実情をありのままに提示しようとしたわけです。

というのも私は貧困をロマンチックで甘ったるいものとして描く映画を嫌悪していますから」

戦後すぐにイタリアで興った

ネオレアリズモに端を発する

いわば

ありのままの現実を

誇張なく描く手法は

本作において

よりリアルな形で表現されているのですが

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加えてブニュエルの

シュルレアリストとしての一面が

やはり本作においても

随所に見られます

ペドロが母親の夢を見るシーンや

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ハイボの死の間際における

シュルレアリスティックな要素の介在です

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そこにかぶさる

どこからともなく聞こえる声

「やられたなハイボ

眉間に命中してる

気をつけろ

皮膚病の犬だ

向かって来たぞ」

「イヤだ

やめてくれ

暗い穴に落ちていく

ひとりで

ひとりきりで

いつだってひとりよ

何も考えず

お眠り

坊や」

つくづく

メキシコの現実をありのまま映し出したリアリズムと

不合理な人物の内面を象徴主義的に切り取ったシュルレアリスムとの

この

激しいまでの拮抗

いやあ

まさに鬼才ブニュエルの真骨頂です

1950年の作品にして

すでに

その類稀な作家性が垣間見れ

観る者に衝撃的なインパクトをもたらします

というわけで

『忘れられた人々』

強烈な毒気で

人々の絶望を余すことなく描き出した

ブニュエルのメキシコ時代の傑作です

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おまけ

以前、ブニュエルの作品について

僕が書いた記事を併せてご紹介

◎『自由の幻想』→こちら

◎『哀しみのトリスターナ』→こちら

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