映画『アギーレ/神の怒り』
映画評です
前回に引き続き
またまたいっちゃいます
1972年製作
ドイツのヴェルナー・ヘルツォーク監督作
『アギーレ/神の怒り』
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先月ご紹介の『フィツカラルド』と並ぶ
ヘルツォークの代表作です
主演はやはり
名コンビとなる怪優
クラウス・キンスキー
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アンデスの切り立った岩山を
延々連なって下山する隊の行軍を
神のごとき視点で幻想的に捉えた
冒頭のロング・ショットの長回しから
アマゾンの秘境の
圧倒的な大自然の描写に至るまで
う~ん
この映画には
目に見えない“何か”が
そこに確かに存在しているようです
画面の端々に
そんな尋常ならざる“気”
いわばエネルギーが
充満しているのを感じます
物語の舞台は16世紀末
黄金郷エル・ドラドの発見をめざし
アマゾン奥地を筏に乗って進むスペイン軍
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しかし厳しい大自然の脅威や
原住民の襲撃、食料の枯渇、熱病などによって
やむなく全滅…
ただひとり残されたのは
自らを“神の怒り”とのたまい
王国を築くという夢にとり憑かれた
狂気の副官アギーレのみだった…
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先述の
目に見えない“何か”
画面に漂うただならぬ空気の
主たる要因
画面を支配しているパワーの源こそが
アギーレです
この神をも恐れぬ傍若無人ぶり
…がしかし
アギーレの放つ
エモーショナルなエネルギーの
純度
強度
漂う聖性…
カメラは終始
そんなアギーレの超然とした姿を
捉えて離しません
迫りくる脅威
…過酷な大自然やインディオの毒矢、飢餓、熱病の蔓延など
神の逆鱗に触れたかのごとき試練が
次々と一行を襲います
毒矢を放つ原住民たちの姿は一切映し出されず
ゆえに想像力が喚起され
不安や恐怖が助長されるばかり
と
川の音や風に揺れる草、鳥の鳴き声や虫の声などの
豊穣な自然音の数々と
未開地の不気味な静寂の対比や
また
現場の湿気や漂う臭気すらも
生々しくフィルムに刻印されているかのようです
う~ん
『フィツカラルド』もそうですが
観ていて
なんともドキュメンタリーなんですよね
例えば
冒頭の下山シーンなんかも
スペイン軍の面々を演じているのは
実際の撮影スタッフたちで
担いでいる荷物の中に入っているのは
重い撮影機材と食料だったりするわけです
つまりは
実際に映画を生きているのです
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(身にまとっている衣装がこれまた重量感たっぷり)
困難を極めたであろう
ジャングルの奥地での撮影を敢行することで生まれる
迫真力
リアリティー
ヘルツォークの映画に
自ずと内在するエネルギー
溢れる生命力の
まぎれもない所以です
ラスト
隊が全滅し
ただひとり生き残ったアギーレ
しかしなおも
猿を鷲掴みしながら
鋭い眼光で周囲を睥睨する
この泰然自若ぶり
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いやあ
キンスキー圧巻です
ホントもうこういう映画は今後出てこないでしょうね
あらためて
映画史的にも特異な地位を占める
ヘルツォークによる
“神話的な普遍性”を獲得しえた
稀有な一本
傑作です
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