モンティの光と影

前回ご紹介した

『陽のあたる場所』の主演俳優

モンゴメリー・クリフト(1920-1966)

=通称モンティ

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彼のその後の

数々の悲劇に見舞われた波乱の生涯を

以下に見ていきたいと思います

モンティは

『陽のあたる場所』(1951)の演技が高く評価され

その美しい容貌と内面を掘り下げたメソッド演技によって

今までにない新しいタイプの

二枚目演技派俳優としての地位を獲得します

しかしモンティは生来、内向的な性格で

映画スターのような

華やかな見方をされることを望みませんでした

周囲の喧騒をよそに

あくまで愚直に己の演技を追求するスタンスを崩さないモンティは

望むと望まないとにかかわらず

俳優は与えられた役をこなさなければならない

当時のハリウッドにおけるスタジオ・システムを嫌って

あえてスタジオ契約を結ばず

1本、1本、自分が本当に演じたいと思う役を

厳選する姿勢を貫いたのです

そうして様々な映画出演のオファーが舞い込んだにもかかわらず

いわゆる大作映画などへの出演を断り

なんと

当時116万ドルの出演料のときに

週給100ドルでブロードウェイの舞台に立ったりしました

本人にとってギャラはどうでもよく

純粋に演じたい役を演じるのみであるという

まあ彼はいわば

典型的な演技の虫だったんですね

こうしたモンティの頑なな姿勢は

ハリウッドから少なからず疎んじられました

映画界で彼が反逆児と呼ばれた所以です

そうしてモンティは

自身の納得する中身重視の作品に出演し

着実にキャリアを積み重ねていきます

以下

最高に輝いていたとされる1953年に製作された3

人殺しの懺悔を受けた若き神父の苦悩を演じた

アルフレッド・ヒッチコック監督

『私は告白する』

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人妻との束の間の不倫に燃える青年教師を演じた

ヴィットリオ・デ・シーカ監督

『終着駅』

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腐敗した陸軍に屈せず

最後まで己を貫くラッパ手を演じた

フレッド・ジンネマン監督

『地上より永遠に』

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『陽のあたる場所』と並ぶ

モンティの代表作の1本です

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このように良質な作品に出演し

順風満帆に見えたモンティでしたが

一方で

ある問題を抱えていました

一作ごとに違った役になりきる

メソッド演技の後遺症とでもいいましょうか

容易に役から抜けきれない苦しさから

情緒不安定に陥り

次第にドラッグとアルコールが手放せない生活になっていきます

そして1956年に

モンティは凄まじい事故を引き起こしてしまいます

久々の映画出演となった

『愛情の花咲く樹』の撮影期間中に

共演者で恋愛関係でもあった

エリザベス・テイラーの家で行われたパーティーの帰りに

モンティの運転する車が

公衆電話の鉄柱に激突

顔に大怪我を負ってしまうのです

飲酒の上での居眠り運転だったとされています

伝記によれば

歯が舌を貫通し、鼻が顔面に陥没、鼻腔と顎も骨折し、顔中が切り傷だらけの深刻な状態で、舌に突き刺さった歯は、駆けつけたエリザベス・テイラーが直接引き抜いたものの、今度は舌が巻き込まれて窒息しそうになったそうです

なんという悲劇でしょうか

あの美しい顔が

恐ろしい話です

なんとか一命を取り留め

その後、整形手術を繰り返した結果

顔はほぼ元通りになったものの

顔の一部に麻痺が残り

また術後の後遺症から鎮痛剤を大量に服用

さらには以前から常用していた

ドラッグとアルコールの量も

目に見えて増えていきます

そのような状況の中で

モンティはどうにか現場に復帰し撮り終えるも

画面に映った彼の表情は

目に見えてぎこちなく

以前のような輝きや若々しさが

すっかりと消え失せ

生気のない姿を晒し

観る者に驚きと衝撃を与えてしまいます

エドワード・ドミトリク監督

『愛情の花咲く樹』(1957)

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その後も映画には出演し続けるも

すっかり別人のように変わり果てたモンティがいました

ヴィンセント・J・ドナヒュー監督

『孤独の旅路』(1958)

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こちらは精彩を欠いた中でも

キラリと光る名演を見せてくれましたね

スタンリー・クレイマー監督

『ニュールンベルグ裁判』(1961)

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とはいえモンティは

常時服用していた薬の副作用で

度々奇行に走ったりして

心身のバランスを崩す状態が

慢性的に続いていました

そして1966

ラウール・レヴィ監督

『ザ・スパイ』(1966)

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のクランクアップ直後に

心臓発作のため

45歳の若さでこの世を去ります

近年明るみになったことですが

モンティはバイセクシャルであったことが知られています

こうした性的指向は

5060年代当時の閉鎖的なハリウッドでは

まずタブーで

モンティは映画関係者の間で

人知れず噂され

少なからぬ偏見に悩まされていたといいます

とまあ

う〜

一体なんと表現すればいいのでしょうか

映画史にその名を残す

天才的な二枚目俳優が辿った

あまりに哀しい末路

あらためて

その光と影

振り幅の大きさが

彼を伝説の俳優たらしめています

というわけで

以上

名優モンゴメリー・クリフトのご紹介でした

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